日日猫好日だより vol.27
こんにちは、うた子です。急に冬が戻ってきたかのような寒い日もあれば、少し動いただけでうっすら汗をかくようなあたたかい日もあって、もうすぐ全力の春がやってくるのだなぁと思いながら毎日を過ごしています。みなさま、お変わりありませんか?
わたしの1週間は、あたたかい気持ちになることがあったあと、冷んやりする出来事がきちんとやってきて、最後には心地よい温度に落ち着いてホッとするような、まさに近頃の天気を思わせる7日間でした。
あたたかい気持ちになるのも、冷んやりしてしまうのも、どちらも人とのかかわりによって生まれる変化で、もちろん前者ばかりならいいのにとは思うけれど、なかなかそうはいかないものですよね。それに、冷んやりすることでわかることや気づくこともある。たとえば、自分が何を嫌いで、何を不快に思うか、とか。ちなみにわたしは今週、おじさんとかおばさんとかおやじとかガキとか、年齢や性別にからめた呼び名を使って何かを語るのがどうしても苦手なんだと気づきました。その呼び名があてはまる人を指しておじさんやおばさんと呼ぶことに違和感はないけれど(ガキ、は単純に口が悪い)、◯◯おじさんとかおばさん構文みたいな言葉で誰かの行動やセンスを笑う態度が嫌いなんだなと。
少し前までのわたしは、こういう「嫌い」とか「嫌だ」という思いをわざわざ表に出さなくてもいいと考えていました。今も基本的にはそうです。でも、嫌いなものや苦手なものを遠ざけるためには、ときには表に出すことも必要なんじゃないか。そうしないで我慢ばかりしていると自分の核となる部分がどんどんすり減っていく気がするし、それって自分をないがしろにしているのと同じなんじゃないか。すべてを口に出さなくていいし、すべてを飲み込む必要もない。どうしようもなく苦手なことは、言葉や場所を選んだうえできっぱりと表明していけばよいのかもしれない。今はそんな風に思っています。
実は、そう思えるようになったのもまた、人とのかかわりがきっかけでした。ある方の日記に書かれていた「嫌だ」という思いを読んで、自分でもびっくりするくらいホッとして、なんていうんだろう、孤独を救われたような気持ちになったんです。思いは表に出さなければ自分ひとりのもので、誰かを傷つけることも、非難されることもないけれど、場合によってはその孤独が自分を傷つけることもあるんだなぁ、そういう痛みに今まで少し鈍感すぎたかもしれないなぁと思いました。
その気づきはわたしにさまざまな変化をもたらしたし、そのあとに生まれた交流によってさらにやさしくあたたかな気持ちになりました。しばらくたった今もまだ胸の奥の方がぽかぽかしているくらい、あたたかかった。そうやっていいこととそうでもないことが溶け合いながら、ちょうどいい温度になっていくなら、それでもう十分にしあわせだなぁと思いました。
そうそう、好きなことといえば、先週仕上げたいと話していた刺し子のあずま袋が完成したんですよ。どんなふうに仕上がるかドキドキしていたのですが、味のある雰囲気になってとてもうれしいです。黄色いマルシェかごと合わせるとよりいっそうかわいくて、数日後のお出かけがもっと楽しみになりました。これからも自分がよいと思うものを楽しく作っていきたいし、子どもたちや夫にはそういうわたしの姿をずっと記憶していてほしいなと思います。
長くなりましたが、今日はこのへんで。それではまた、来週お便りします。
今回の和色は「紅掛空色(べにかけそらいろ)」です。
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