日日猫好日だより vol.24

今回は長い長いひとりごとを書きました
うた子 2024.03.03
誰でも

編み物とわたし

わたしがはじめて編み物をしたのは小学生の頃だ。

わたしは1人っ子で、祖父母と母と4人で暮らしていた。祖父たちが老後を悠々自適で過ごすために建てた新居に転がり込む形で。母はわたしがものごころつく頃にはすでに病気だった。わたしが母のお腹のなかにいるときに父が別の女性を妊娠させ、母(とわたし)を捨ててその人と一緒になるだのなんだので大揉めに揉めた結果、精神を病んでしまったらしい。都会のはずれにあった団地の一室で、育児を放り出してボロボロになっていた母と薄汚れたわたしを見かねて、祖父母がしかたなく引き取ってくれたそうだ。

詳しい事情を知らなかった頃はわりと朗らかに、子どもらしく過ごしていたのだと思う。思い出がほかより明るい色をしているから。でも、小学校に上がってからは違った。周りと自分の違いをこれでもかこれでもかと見せつけられる日々だった。家に帰って疑問や希望を口にすると、「贅沢を言うな」「住まわせてやっているんだ」「こんな予定じゃなかった」「迷惑をかけるな」と叱られた。ああそうか、そうなんだなと思っていた。特別に可愛がられることもなければ、特別に虐げられていたわけでもない。ただただ言われたとおりのことをして、邪魔にならないように大人しくしておくことを求められ、母はそのすべてに無関心だった。

人との付き合いも制限されていたので、学校でも地域でも家でも孤立していた。今思えばわたしだけではなく、家庭まるごと浮いた存在だったのだと思う。同級生たちの輪の中に入っていく努力もしたし、約束を取り付けられないまま学校や公園に遊びに行くこともあった。結局誰とも遊べず、1人であちこち歩いて空を見たり川の流れを見たり、鳥を観察したりして帰った。それはそれで楽しかったし、不幸だったという話がしたいわけではない(不幸だったとも思っていない)。ただひとつ問題だったのは、暇すぎたことだ。そんな風に過ごすのは悪くないんだけれど、時間をつぶすのがものすごく大変だったのだ。とにかくわたしは暇をもてあまし、退屈していた。

ある日、家で留守番をしていたときに、誰も使っていないガラクタだらけの埃っぽい部屋で、何かを編みかけた白い毛糸とかぎ針を見つけた。これをやってみたいと強く思ったわたしは、帰宅した母をつかまえて編み方を教えてくれと頼んだ。どれだけ渋られてもめんどくさがられてもめげずに食らいつき、わかるまで教えてもらってついに細編みをマスターした。夢中になって編んでいるうちに、ぼこぼこのいびつなマフラーができた。とても実用的な仕上がりではなかった。それでも、誰からも咎められずに没頭できること、あっという間に時間が過ぎたことがうれしくて、しばらくは編み物ばかりしていたように思う。

ただ、田舎の小学生だったわたしが存分に編み物を楽しむには、毛糸の調達など条件面でのハードルが高すぎて長続きはしなかった。その代わり、図書館に入り浸って本を読みまくったり、絵を描いたり、笛やピアニカで音楽をしたり、1人で没頭できることを探して楽しむようになった。編み物がきっかけで「自分にできることを見つけて楽しむ」という暇つぶしのやり方を身につけたあとは、「暇であること」にそれほど苦しまなくなったように思う。

この冬、ひさしぶりに編み物がしたくなり、靴下、ハンドウォーマー、ニット帽を編んだ。そして昔から憧れていたセーターにも挑戦し、先日ついに完成した。編み図とにらめっこをして、わからないことはとことん調べて、何度もほどいて編み直してできあがったときの充足感といったらなかった。そして、しみじみと思ったのだ。あのぼこぼこのマフラーを編んだわたしがいたから、このふわふわであたたかそうなセーターを手にするわたしがいる。糸をかけて引いて段を変えて、またかけて引いて糸を継ぎ足してセーターになっていくように、小さなわたしと今のわたしも全部繋がっていて、これからも形を変えながら続いていくのだ。どんな風に仕上がるのかわからないけれど、今日もわたしはできることを見つけて楽しんでいこう。

次の日日猫好日だよりは、3/10(日)に配信予定です。

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